2008年07月23日
ジョブカード制度(1)

写真は那覇新都心にあるハローワークです。
会社にも比較的近いところにあり、また、私も平成18年と19年で約2年間、4階にあった若年者向け就職支援施設のヤングジョブスポットで求職者向けのIT関連の講座を受け持たせていただきました。
それまでは、サザンプログラマ養成講座の受講生という形でしか求職者に接することはありませんでしたので、一般の求職者に接するのは初めての経験でしたので、なかなか楽しかったです。
さて、皆さんはジョブカード制度というのをご存知でしょうか?
厚生労働省に「ジョブ・カード制度のご案内」というページがあります。http://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/job_card01/index.html
上記URLに、その説明がありますが、私どもは昨年の10月にこの制度の実施が決定する時点から結構調べ上げました。
というのも私どものサザンプログラマ養成講座の受講生になる方々はほぼ100%求職者です。
国がこの制度を実施するときに、普及したときに及ぼす影響について考えました。
風が私どもにとってフォローなのか?アゲインストなのか?
ない知恵?を一生懸命絞って考えました。
追い風にするには、官公庁からの委託事業を受けないといけません。しかし、この国では専修学校という認可を受けたところが正当な教育機関として優先されます。委託事業を受けた専修学校などは、官公庁から資金が供給され、そして人々は国や沖縄県が認可をくだしたところに絶大な信頼を寄せます。
果たしてフリースクールの立場にある私どもの講座が、委託事業を受けることが新しく実施される「ジョブ・カード制度」のもとで可能かどうか?
技術内容とプログラマとしての就職率だけで勝負するのなら、話は簡単です。
私どもは自前でカリキュラムとテキストを全て作っていますし卒業生技術者も250名いますので、ほぼ県内の業界の中では知られています。
しかし、官公庁が絡んでくると、何の人脈も持たず、おまけに技術を分かるソフトウェア開発業界の人以外に大した説得力をもたない私どもは、圧倒的に不利だろうという結論に達しました。
結論として私たちは東京に活路を見出す道を選びました。
私たちの話はそれぐらいにして、ジョブカード制度が人々にどのような恩恵を与えるかどうか、立場に関係なく非常に興味があります。
このジョブカード制度は韓国が1997年に経済危機に見舞われ、大量の失業者を職に就けるための一大失対事業で、再建に成功した韓国の制度をモデルにしています。
10年後の今日、韓国はITの分野でも、インターネットのコンテンツ配信事業で世界的に成功し、すでに日本を追い抜いています。今をときめく技術者も10年前は失業者だった人もいたと、聞いています。
その成功モデルを日本が踏襲できるかどうか、それとも独自のモデルになるのか、それについて考えてみたいと思います。
※下記は求人おきなわ様のご協力で現在もWebページに掲載されている
コラム「IT技術者への近道」のアドレスです。
http://webagre.com/user/it_susume.php?GOUSU=2007/10/15
※サザンプログラマ養成講座オフィシャルサイト
http://www.sazan-w.co.jp
2008年07月22日
ガソリン高騰2
7年前の8月にアメリカに移住した兄夫婦を訪ねてアメリカに家族旅行に行ったときの写真です。
わずか二週間足らずのアメリカ旅行でしたが、私にとっては非常に貴重な体験でした。
場所は、カリフォルニアのロスアンゼルスからネバダ州ラスベガスに向かう途中の道です。
本当に楽しい思い出が詰まっていて、それは又次の機会にお話するとして、
ガソリン高騰の話をもう少し続けさせてください。
昨日のガソリン販売価格は、163円だったと思います。私はカード割引で159円、店員の人に聞いたら又上がるだろうということで思い切って満タンにしました。
このガソリン高騰は、本当に恐いです。特に沖縄は車社会で車なしでは、仕事を含め日常生活すべてに影響を及ぼすわけですから、前にも述べたように、待っているのは値上げラッシュで、これらはボディブローのように人々の生活を圧迫していきます。
当然のように消費意欲は衰え、企業の業績にも影響を及ぼし景気や雇用に悪影響が懸念されますね。
先日、NHKの特集で日本の石油輸入の25%を占めているアラブ首長国連邦の首都アブダビの現在が放映されていました。
そこでは昨今の原油高で巨額のオイルマネーが流れ込んでおり、空前のビル建設ラッシュが続いております。
また、私の記憶に間違いがなければ、アブダビの海岸線に11キロの巨大リゾート都市が900兆円をかけて作られていて、すでに建築前にも関わらず、全てのリゾートコンドミニアムは完売だそうです。
ここのガソリンスタンドは、ガソリンが全て実費で支給されており、日本の4分の1の値段です。
王族と思われる人にインタビューをしているシーンが心に残っています。
「石油という資源があるから我々は日本人のようにあくせく働かなくとも豊かになれるのさ」と高笑いをしていました。
番組では原油高騰の原因を探っていて、そこのオイルマネーを管理する会社のアメリカ人マネージャーは、
投機筋が高騰を引き起こしているのでは?という疑問を呈し、舞台はニューヨークへと移ります。
ニューヨーク石油の先物取引所では、トレーダーにインタビューが行われていました。
「高かろうが安かろうが我々には関係ない。取引でいくら儲かるか?それが全てだ。庶民の生活圧迫?関係ないねえ。」
そんな感じの返事でした。
番組でのアラブ人やニューヨークのトレーダーのインタビューには、複雑な気持ちで見ていた人は多いと思います。
冨を持てる人は持たざる人への配慮があってはじめて人々の尊敬を勝ち取るものだと思うのですが、このインタビューから感じられるのは、勝者のおごりだけではないでしょうか?
憤りとまではいきませんが、考えさせられるNHKの番組でした。
※下記は求人おきなわ様のご協力で現在もWebページに掲載されている
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2008年07月21日
こんなに人が必要(2)

しかしIT業界は違います。沖縄は、東京とならび、国内でも有数の海底通信ケーブルの集積地です。実際サーバーを設置しようと思ったら大阪よりも沖縄のほうが速度も速いしトラブルも少なく性能がよいのです。
ケーブルの集積地はITと金融産業が発達する素地を備えています。名護市が金融特区構想、沖縄県がマルチメディアアイランド構想で経済振興をはかっていることはご存じでしょう。これは、北アイルランドのダブリンが成功したものを前例としています。1980年の北アイルランドと言えば、当時のEC(欧州経済機構)加盟国中、最貧国とよばれ、失業率は20%でした。
経済だけでなく治安も最悪でIRAのテロが毎週頻発するような状況の国でした。それが海底ケーブルの敷設と金融産業、それに伴うIT産業の進出で現在北アイルランドの失業率は4%を切ったと言われています。
金融産業が発達し、企業が進出してくると大規模なデータセンターを必要としてきます。そのデータを有効に活用するためには、常に最新のソフトウェアを必要とし、IT産業も共に発達していくのです。
また、前回にお話ししましたが、この職種は知的集約型でありながら同時に大量の技術者を必要とする、労働集約型であります。今後も人材不足は避けられないでしょう。ソフトウェア開発業種の人材が、ここ沖縄でどれだけ必要かということはおわかりいただけましたでしょうか。 信じられない方は、ハローワークの求人を確認してみてください。今年3月30日の時点でハローワークに出ているプログラマーの求人は54社251名でした。
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2008年07月20日
こんなに人が必要(1)

平成16年度の沖縄県の商工労働課の統計によると、県内にIT関連産業は、411社存在します。
その中の60社がコールセンター、50社がDTPと呼ばれる、印刷・出版関係、そして実に残り300社以上がプログラマー(PG)、システムエンジニア(SE)などの技術者を必要とするソフトウェア開発会社になっています。
コールセンターは年間1000名の雇用を実現していると言われていますが、ソフトウェア開発会社も各社が年間5名以上は募集していますので、単純計算でも1500名の求人を出しております。しかし高度人材とされる琉球大学や名護高専などが年間輩出できる卒業生の数は100名にも達しません。2年制の情報処理専門学校も300名もいません。
県内地元のコンピュータ会社大部分には、供給できていないのです。上 上 記の数字はこの職種が技術さえ身につけば、県外に出ずとも、県内に需要が十分あることを示しています。他の専門職においては、せっかく身につけた技術が地方で活かせないことはいくらでもあります。
例えば航空機のジェットエンジンの整備技術を学んできて沖縄で仕事をしようと思えば就職先は航空会社の整備士に限られてくるでしょう。当然ながら雇用数は限られます。また、私の親戚ですが首都圏の工場でメッキ加工職人として20年以上働いていましたが、沖縄に戻ってからは臨時で別の仕事をやらざるを得ませんでした。製造業が少なく観光など第三次産業に依存している沖縄では工業誘致をしようにも物流コストの高さや良質の水の確保もままならず工場が少なく従ってその雇用も少ないというのが実情です。
※下記は求人おきなわ様のご協力で現在もWebページに掲載されている
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2008年07月19日
夏の日の糸満



今日は、大阪からの友人を連れて、糸満の平和祈念公園に行きました。
とても暑くて早々に、車に引き上げたのですが、他のリゾート地と違って、悲しみの歴史があります。
63年という歳月は、歴史の中の出来事として整理すればよいものなのか?
国籍に関係なく、沖縄戦で亡くなられた方々の全ての名前が刻まれた平和の礎では、年老いた女性が頬を石に摺り寄せながら花と線香を手向けていました。親御さんか御兄弟の名前でしょうか、きっと、いとおしそうに指でなぞっているのでしょう。
この方々には、まだ歴史ではないのだと思いました。
私が幼い頃は、平和祈念の行進があり多くの人々が参加していた記憶があります。
その遺族も年老いて、亜熱帯沖縄の強烈な陽射しの下でもう歩くことはできません。
戦争に翻弄されながら、困難な戦後を生き抜き、今の沖縄の基礎を築き次世代へと受け継いだ親の世代の多くの方々は引退し静かな余生を送りそして、去っていきます。
今の時代を生きている私の困難など、親の世代の苦しみに比べれば、本当に微々たるものです。
この悲しみの地を鮮やかな空の青とエメラルドグリーンの海が包み込み、強烈な陽射しと時折静けさを破って夏のセミの声が聞こえる摩分仁(まぶに)の地を私たちは後にしました。
きっと63年前も、今日と同じように、紺碧の海に白い波が何度も打ち寄せていたのでしょう。
ITビジネスの世界にどっぷりとつかった私には政治や歴史では、それほどの意見はありませんが、それでも心にずしんと重いものを残した夏の日の糸満でした。





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